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略歴
●1964年6月15日生
●山口県出身
●建設コンサルタント勤務。専門は道路計画。趣味は、格闘技観戦とガンプラ作成。東京出張の際の、
インディプロレス観戦が最近のマイブ−ム
私の専門は、道路計画及び設計である。これは、現在は道路が無いが、必要とするところに、
道路を計画し、設計することを意味する。この仕事を始めて、20年近くになるが、計画を
行ってから、すでに完成している道路というのは、そんなに多くない。道路を計画し、実際
に出来るということは、時間がかかるものである。
私には、今中学1年生の娘がいる。娘は6ヶ月の超未熟児で生まれた。生まれてから6ヶ月
間は、保育器の中で育ち、夫婦でずいぶんと心配をしたものである。娘が保育器の中で育つ間、
父親としては何もしてやれなかったので、何か形に残せるものをと思い、翌年に技術士を受験
した。受験動機としては、不純かもしれないが、モチベ−ションの持続という意味では十分で、
何とか合格で出来た。それから10年、おかげさまで娘も大きな病気もすることなく順調に育
った。
当時私が心がけたことは、「自分が計画している道路は、娘を含めた次の世代のためにあ
るものだから、今の基準だけに縛られてはいけない」であった。しかしながら、実際の計画・
設計となると、法令・基準・コスト管理に縛られるのが現状であり、自信を持って、次の世代
に渡せるかというと疑問である。最近は、公共事業投資に対する世間の批判等は厳しいものが
ある。地元説明の際にも、計画道路の必要性や道路が完成した際の事業効果についても、納得
いただける説明が必要である。この様な時期
にこそ、「次世代へ良いものを残す」という
ことを念頭に置かなくてはいけない気がする。
私は自分が計画・設計した道路が完成した
際は、必ず家族を連れて行く。また、技術士
会の会議等で他支部へ出かける際も、都合が
付けば家族同伴で出かけるよう心がけている。
これは、父親の仕事や技術士というものを、
娘に少しでも理解してもらいたいという思い
である。右の写真は昨年12月に中・四国支
部の40周年の見学会で呉市の大和ミュ−ジ
アムに行った際の写真である。このミュ−ジ
アムへのアクセス道路は、計画段階から私が携わった仕事で有ったため、良い機会と思い、事
務局にお願いをして娘を同行させた。これからも、自分の計画した道路を娘に見せる機会が数
多く出来るよう、日々精進したいと思う。